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前職を早期退職後、縁もゆかりも無い知夫里島に移住した山本さん。思いもよらなかった島生活が、なぜか始まってしまったと話します。現在の暮らしをなんとか工夫して楽しみながらYADDO知夫里島の事務局長を勤めています。

前職を早期退職後、縁もゆかりも無い知夫里島に移住した山本さん。思いもよらなかった島生活が、なぜか始まってしまったと話します。現在の暮らしをなんとか工夫して楽しみながらYADDO知夫里島の事務局長を勤めています。

協同組合YADDO知夫里島は、令和4年2月から事業開始した組合です。移住者のライフスタイルに合わせたマルチワークで柔軟な働き方と、地元企業の人手不足を同時に解決へと導く、村にとっても重要な役割を担っています。

私がここに来た理由は、そもそも成り行きです。

知夫里島に来る前までは、どのような生活をされていたんですか?

 

山本:40年近く、途中全国転勤もしながら長らくは大阪で某官公庁に勤めとったんですけど、まあ死ぬまでに何とか博士号を取って学者になりたいと思い、早期退職しました。当時身内からはアホちゃうかと散々言われました。自分にしてみたら、留学の段取りもきっちりつけて、万歳三唱して辞めたにも拘らず、世界的コロナ禍で国際線が飛ばんようになってもて、留学計画が完膚無きまでに頓挫。突然ただの無職のおっさんになってもて、絶望のどん底でした。

前職を早期退職後、縁もゆかりも無い知夫里島に移住した山本さん。思いもよらなかった島生活が、なぜか始まってしまったと話します。現在の暮らしをなんとか工夫して楽しみながらYADDO知夫里島の事務局長を勤めています。

そこからどのようにして、知夫村に移住することになったのですか?

山本:この島に来たんは抑々成り行きです。前職の就職支援は終了していましたが、そのサイトは生きとって、地域おこし協力隊の募集に掲載されとった写真がパっと見、沖縄やったんですよ。「聞いたことない島やけど、たぶん近辺の離島か何かやろ。」ええ感じに見えたんでチェックだけ入れときました。そないしたら翌日電話かかってきて「一度見に来ませんか?」言われたんで、遅々として論文も進まんし、気分転換になったらええわと思い、来島しました。実際来てよう見た

ら、風景にあった牛の種類が確かに石垣島のそれとは違いました。帰阪してからすぐに「いつから来れますか?」とまた電話頂いたんで、ほんまにどないしょうかと考えましたね。ただこのコロナ禍の終焉が見えんし、ええ加減引き籠り生活を改めなあかんと思うとった矢先の電話のタイミングもあって「こらたぶん神さんが行け言うたあるんやろ、しゃあないな行こか」と、そのまんま成り行きでした。

前職を早期退職後、縁もゆかりも無い知夫里島に移住した山本さん。思いもよらなかった島生活が、なぜか始まってしまったと話します。現在の暮らしをなんとか工夫して楽しみながらYADDO知夫里島の事務局長を勤めています。

都会とは大違い。

なんでこんなとこ来たんやろ…?

自然しかない、だから健康体になってしまった

自然しかない、だから健康体になってしまった都会の大阪から小さな島である知夫村に、突然移り住む事になったとのことですが、実際に来てみてどうでしたか?

山本:来てからの仕事が隠岐汽船の係留作業、荷役、分かりやすう言うたら港湾労働者ですね。募集要項に記載されとった内容とのギャップを感じましたけど。雇用契約に細則までは有りませんでしたし、年齢的にたやすくはないけど心身を鍛え直す機会やと考えました。そないしたら、半年そこらで体重8キロ減、血圧もを130切って、健康診断の数値もバーンと良くなって、健康になりました。それと前職で、熊本赴任時に乗りたいと思っていて、乗船機会がなかった熊本~島原間の高速フェリーに先日乗ったんですけど、あの憧れは何やったんやろかと。今はフェリーであれ内航船であれ、乗船するんが生活の一部になってもてるんを実感します。

知夫里島にはスーパーもコンビニもないとのことですが、移住してから食生活に変化はありましたか?

山本:食生活は若いときはビールと肉でしたが40代半ばから完全に酒と魚に変わりました。知夫に来たばかりの頃は職場の方から、たまに魚をお裾分けしてもろたりしとったんで、獲れたての魚を自分で捌いて食べるいうんが楽しかったんです。ほんまに旨いし、とにかく酒が進む。村に魚屋は無いし、それまで魚の入手方法は、漁師さんと仲良うなって分けてもらうか、隣の島の鮮魚店で

買うかの二択しか有りませんでした。そんな移住してから半年ぐらい経った頃、港湾労働の合間に新聞配達を手伝っていたら、その方から「一緒に網しょうか」と声をかけてもろて、人生初の刺し網漁に連れてもらいました。

魚を網で獲るというのは都会ではなかなか経験できないことのように感じますが、どう感じていますか?

山本:まさか還暦近くになって、漁業が体験出来るとは想像だにしてなかったんで貴重やと思います。これがほんまに楽しいんです。網から貝やら魚を外す作業は大変やけど、それさえも楽しい。水族館でしか見たことがない、生きてるんを触ったこともない、色んな魚がようけ掛かるし、虎魚とかの高級魚なんかも生きたままバケツで持って帰って捌いて食べる。最高やし贅沢いうんはこういうこっちゃと思います。せやから、知夫に来るなら、魚を捌けるようになっといた方が良いですよ。

前職を早期退職後、縁もゆかりも無い知夫里島に移住した山本さん。思いもよらなかった島生活が、なぜか始まってしまったと話します。現在の暮らしをなんとか工夫して楽しみながらYADDO知夫里島の事務局長を勤めています。

知夫で働く理由は、義理を返すため

協同組合YADDO知夫里島は、知夫村でどのようなことをしている組合なのですか?

山本:総務省の特定地域づくり協同組合制度を利用して、村内事業所に職員を派遣することで、労働力不足の軽減とIUターン者の移住促進を繋いでいます。個人の適性や得意分野を活かせるように試行錯誤しています。マッチングいう言葉はここでも存在感を示します。組合設立当初は事業所の要求とその時間にジグソーパズルの如く合わせるだけでしたが、最近はYADDOを選んでくれた人の気持ちを一番に考えていきたいと思います。目指すゴールは、YADDOを卒業退職された方がそのまま村内事業所に就職して、幸せに暮らし続けていってもらうことです。

現在、事務局長を勤めているとのことですが、どのようなお仕事をされているんですか?

山本:当然、組合員事業所を廻ったり、時期的にどっさりある官公署に提出する書類の作成、法務関連、一般経理全般(〆は商工会さんにお願いしてます)、このようなHP記事の依頼、新人の富原君だけでなく職員のフォロー等々、大抵のことは一人でやってます。前職のように専門的な働き方と違って、管理職であろうが何でもせんならん、煩わしいことも、うっとおしいことも多々有りますが、芸は身を助ける云うか、法務関連の書類作業とかは苦になりません。

週末の休みは刺し網漁に連れていただいてる方の新聞配達を手伝っています。これはただ単にバイクで島内を疾走することに快感を感じているだけですが。因みに余談ですが、YADDOを立ち上げる直前まで、バーをやろうと図面を引いてもらうとこまで進めてました。事務局長をしていなければ、今頃酒肴をもてなしていたかもしれません。

このような多くの仕事をこなすには、何が原動力になっているのですか?

山本:ええ格好云うたら信用ですね。ありがたいことに協力隊の任期中から提案事項は直ぐに決裁してもらえたし、前述のとおり何でも一人でやらしてもろてます。世間で云う「丸投げ」に等しいですが、移住して1年そこらで協同組合設立から何でも自分のスピードでやらしてもらえてるんが、全幅の信頼を包み込んだ丸投げなんやと理解してます。せやからそこは仕事で義理返していかなあかんなと勝手に思うてます。

ほんまに何もない島やけど、

好きに楽しんでくれたら

知夫村の生活の中で、大切にしていることは何ですか?

 

山本:知夫村の生活だけやのうて、何処の国に居ても普段から義理云うんを大事にせなあかんと思うてます。義理云うんは現在では死語に近いかと考えますが、返さなあかんのに返されへんようになってもてることが、自分の年齢では多いです。せやから少なくとも親孝行ぐらいはちょっとでも早めがええと思います。あとはこの村の生活と仕事にどっぷり浸かってもてるとは思いますが、今日現在も博士号取る目標は虎視眈々と諦めていません。

義理を村に返していくために、YADDO事務局長として今後していきたいことはなんですか?

山本:やっぱり、村に来てもらった、一時的でも移住を決断してもらった人の満足度・幸福度を上げたいんで、取り分け今の若い世代の興味があることを知りたいです。ただ働くだけやのうて、何でもない日常で楽しいこともなけなあかんし、彼らはこの国境離島の何に惹かれるんか、知夫を選んだ理由は何なんか、そういったことをたくさん教えてほしい思います。彼らの年代の時、自分は何しとったんかは憶えてますが、島にやってくるという決断が出来たかどうか…。来た彼らに尊敬ですよ。また「もう少しここに居てみようか」とか、ほんのちょっとでも気持ちを持ってもらえたら、それを継続出来るようにしたいと勝手に思います。

前職を早期退職後、縁もゆかりも無い知夫里島に移住した山本さん。思いもよらなかった島生活が、なぜか始まってしまったと話します。現在の暮らしをなんとか工夫して楽しみながらYADDO知夫里島の事務局長を勤めています。

YADDO知夫里島事務局長山本さんの言葉、「あるはずのもんがない」にはどのような意図があるのですか?

山本:意図も何もそのまんまです。無いんやったら、作ったらええかなとも。あくまで個人の感想ですが、来た人全員が全員、面白いとか楽しいとか思う島ではないとも断言します。当然ですが都会では遊ぶ場所にも事欠かないし、モノも溢れています。この島はその手合いは何も無いですよ。俗に環境が人を変えるとは云われてますけど、実感した一人です。せやから知夫村では自分で何かしら好きなもんを見つけるんがええと思います。見つけるその過程が大事やし、見つけた時の幸福感が高まるんやないかと。この島ならではの幸せを体感してもらえたら、ずっと居ってもらえるやろ思うし、YADDOが微力でもその一助になれたらええなと思います。

ただ如何せん人口600人余りの島です。街中やったら、すれ違うだけで関わらんでも済むことでも、人でも個人の意思に拘わらず合う合わんは普通に個人差があることをご留意願います。

前職を早期退職後、縁もゆかりも無い知夫里島に移住した山本さん。思いもよらなかった島生活が、なぜか始まってしまったと話します。現在の暮らしをなんとか工夫して楽しみながらYADDO知夫里島の事務局長を勤めています。
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