知夫村に生まれ、島の自然の中で育った平木村長。高校から本土に出た後、営業の仕事を経験してから島に帰ってきました。役場では教育委員会、財政、産業課など様々な経験を経て、現在は知夫村の村長を務めています。
島根県隠岐郡知夫村は、日本海に浮かぶ隠岐諸島の最南端に位置し、本土の港から約44kmの距離にある島です。隠岐ユネスコ世界ジオパークに認定されており、赤壁や赤ハゲ山など圧倒的な自然と大絶景に囲まれた人口600人の村です。昔から知夫村にとって「赤」は「護りの色」だと言う平木村長。魅力溢れる村を次の世代へと繋げていきたいと話します。
多彩な経歴、今の村長がある理由
島生まれ島育ちとお聞きしましたが、どのような経緯で今に至るのですか?
平木村長:中学まではこの島にいたのですが、卒業後は島を出て高校、大学へと進み、大阪で営業マンとして勤めていました。当時は大きな鞄を持って、とにかく歩き回っていましたね。大阪で5年間働いた後、知夫村に戻ってきて建設会社の土木作業員として3年間働きました。このような変わった経歴を持つ村長は他にいないと思いますが、当時は本当に楽しんで仕事をしていたんですよ。
たくさんの経験をされてきたようですが、土木作業員の後に役場で勤め始めたのですか?
平木村長:そうですね、知夫村役場で教育・財政・産業課を経験しました。最初は教育委員会に12年間勤めていて、そこでは社会教育全般を担当していました。家庭教育、高齢者教育、文化財なども、全て担当していましたね。現代では考えられないことだと思いますが、いろんな教室やイベントが続いて家に帰ることの方が少なかったんです。最初はもちろん苦労したのですが、当時はそれが仕事だと思ってなんとかこなしていました。
教育と財政とはかなり異なる分野のように感じますが、転属した当初はどのような気持ちでしたか?
平木村長:正直な話、財政係になった時は本当に参ったし、役場職員時代の中でも一番苦労した期間でした。教育とは全く違う畑な上に、前任者が当時の村長さんだったので、他に詳しい人もいなかったわけです。急に転属が決まったので、最初の3ヶ月くらいは本と資料を持ち込み、役場に泊まり込んでひたすら勉強していましたね。
自然豊かで魅力的な産業も多くありそうな知夫村ですが、産業課では何をされていたのですか?
平木村長:この島の産業は主に畜産と水産、観光の3つです。その中でも中心産業は畜産なので、牛の頭数を増やしたり、価値を高めて値段を上げる取り組みをしました。どうしても島にお年寄りの人が増えてくると産業自体も停滞していってしまうので、「自分の中で何か動き出さないと」と取り組んでいました。でも別に特別なことはしていなくて、本当に当然のことをしてきただけなんです。
他にも大牧場の整備が必要だと思ったので、承諾を得て回ったり、村の農家さんを20人程集めて会議を開きました。いつか変えなければならないとは感じていたので、村の産業を続けるためにやっただけなんです。誰かがしないといけないけれど誰も前に出ない時は、手を挙げてしまうタイプなんですよね。
小さな島だからこそ、
繋がりから新たな挑戦が生まれる
知夫村村長として、大切にしている3つのこと
これまでも様々な経験をされてきたとお聞きしましたが、村長の在り方で大切にしていることは何ですか?
平木村長:反対することをしない男です。笑 ここぞって時には指示したりもしますけど、基本的に多くは口出ししないようにしています。私は何ひとつ、相談に来たものを反対したことはなくて「やってみたら?」としか言ったことがないんです。自分で考えて、実行して、失敗して、次はこうしようと考えることが大切です。
そうして身に付いていくものだと思っているので、私から指示はしませんね。もちろんわからないこと、困っていることがある時には教えたり手助けはしますよ。
不思議なことに人口600 人しかいない島でも、ラーメン屋、カフェ、レストランがあるんです。小さな島なのに色々なものがあるのは、村の人たちの新たな挑戦を受け入れてるからですね。
村長の反対しないという考えがこうした村の雰囲気を作り上げていると思いますが、日頃の業務で大切にしていることはありますか?
平木村長:とにかくスピードだけは速いほうがいいと思っています。相談に来た際は、その場で決済することも多いですね。今日も1日に5回くらいは職員のところへ行って、「急ぐものはあるか?」と確認しました。もちろん決断が難しいものや調査が必要な場合には、よく検討してから結論を出すこともありますが、ほとんどの場合はとにかく急ぎます。理由は単純で、離島だからです。書類を送るにしても通常よりも時間がかかるので、早いに越したことはないと思っています。
そんな離島ならではの環境で大切にしていることは何ですか?
平木村長:直接顔を合わせることを大切にしています。会って話して一緒に仕事して、初めてお互いの信頼関係が生まれたり、本当に良いものを作っていけると思うんです。昔、本土で営業をしていた時から感じているのですが、電話のやり取りで済ませようとすると、相手の気持ちが見えてこないんですよね。心を通わせるにはやはり、会って話すことが大切なんです。
協同組合YADDO知夫里島は村にとって大きな存在
現在の知夫村で苦労していることは何ですか?
平木村長:今の一番の困りごとは人手不足です。私が小さかった頃は人口2000人程いたのですが、この島に帰ってきた時には人口1000人を切ってしまっていて、そこから減少が急激に進んでいます。人口が減ると働き手が足りなくなるので、昔は当たり前にできていたことが出来なくなってしまったんです。例えばインフラ、交通整備、農作物、何をするにしても人手が足りないんです。
人手不足を課題として抱える知夫村にとって、YADDO知夫里島はどのような存在ですか?
平木村長:こうした状況での位置付けはかなり大きいと思います。組合を通してこの島に来てくれて、各事業所で働いてくれていますよね。そうしてだんだん人が増えてきて賑わってくれば、来たいなと思う人がまた増えて、次に繋がっていくと思うんです。こうした流れを作る出だしのところがYADDO知夫里島だと思っているので、村にとって大きな存在ですね。
これまでに移住してきた人に対しては、どのように感じていますか?
平木村長:これまで来てくれた人たちはやりたい仕事が見つかったり、人手が足りないところにピッタリはまったりして、次から次へと独立して島に就職してくれているみたいです。やはりこの島に居場所を見つけて、居続けるという選択をしてくれたのは嬉しいです。
ただ正直、若者がここに残ってくれている理由が未だはっきりとわかっていません。
今日明日で感じるこの島の良さではなく、1 年以上過ごしてみて「もう少しここに居ようかな」と思う理由が知りたいですね。一人一人、皆さんに聞いてみたいくらいです。笑
受け継いでいくために、村のためになることを
過去の経験がこれからへ、必ず繋がる
今までの経験で、若者へ伝えたいことはありますか?
平木村長:私が経験から気が付いたことは、「自分から動かないといけない」ということです。若い頃は「楽しよう、楽しよう」と思う時もあったのですが、逃げてばかりいても何も解決できないし、何の結果も残せないんです。飛び込み営業をしていた時の話ですが、営業というのは自分の足で回るものだから、その時しんどかったら喫茶店で時間を潰すこともできてしまうんです。ただ私はそうした気持ちを切り替えて、自分を変えることができました。人間の特徴に逃げ癖みたいなものがあって、拭い去るのは難しいと思うけれど、やはり自分でやってみるしかないんですよね。
産業課での畜産の改革など、様々な施策を自ら行ってきたとのことですが、知夫村を続けていきたいと思うのには、どのような背景や考えがあるのですか?
平木村長:やはり私もこの島で生まれ育ってきたから、我が息子や孫らに残していってあげたいですよね。これは私の考え方ですが、人間は繋ぎの人生だと思っています。ただ単に自分たちが生きた時代にそれまで受け継がれてきていたものを途絶えさせてしまったら、ご先祖様に顔向けできないじゃないですか。もしも自分がいいかげんなことをして、次の世代に繋げることができなかったら嫌でたまらないんです。大それたことではないのですが、単純にこうした発想で、なんとか続いていってくれればいいなと思っています。
新たな視点で、島の良さを見つけて欲しい
人口600人の知夫村で、どのように働いてもらいたいですか?
平木村長:皆さんの持っている技術、個性、過去の経験なりをこの島で活かしてもらえたら良いのかな、と思います。この村が合っているか、合っていないかは、一度来てみないと分からないことだと思うので、実際にこの村に来てみて、自分のフィーリングに合えば残ってくれれば良いんです。島に来る入り口の一つがYADDO知夫里島だと思うので、職場を通して何か島の魅力を見つけてもらうことができれば、なんとか村を元気にするためにお力を拝借したいな、という気持ちです。
これから島で生活する人々に、どのように過ごして欲しいと考えていますか?
平木村長:長く暮らしていると、どうしても慣れてきてしまって良さがわからなくなってくるんです。新しく来た人だからこそ分かる村の良さが沢山あると思うんですよ。だからこの島に来た時にはそういったものを見つけて楽しんで欲しいです。そうして見つけたもので、村のためになるようなことをしてくれたらありがたい限りです。
暮らしていて、何か困ったことがあったらどうしたら良いですかね?
平木村長:いつでもここ(村長室)にいらっしゃい!