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生まれは京都ですが、小さい頃によく遊びに来ていたため、ふるさとのような存在である知夫里島。2011年に20代で大阪から移住し、現在は「合同会社 島守(しまもり)ちぶり」で働いています。

生まれは京都ですが、小さい頃によく遊びに来ていたため、ふるさとのような存在である知夫里島。2011年に20代で大阪から移住し、現在は「合同会社 島守(しまもり)ちぶり」で働いています。

島守ちぶりは、隠岐汽船取扱店・レンタカー業・運送業・イベント業、村の困りごとを解決する便利屋事業。いわば「なんでも屋さん」。知夫村にとって、欠かせない存在です。

島の暮らしと密に接する仕事をしているからこそ感じる、「人々の温かさ」と「大自然の素晴らしさ」。奥田さんにとっての知夫村の魅力について、話を聞きました。

子供の頃から感じていた「知夫村っていいところ」

ふるさとのような島で、自然遊びをするのが好きだった

 

Iターンとのことですが、元々この島に関わりがあったのですか?

 

奥田:実は祖母の出身が知夫村で、中学生くらいから大阪に移住したようです。僕が小さかった頃には祖母は島に戻ってきていたので、夏休みなどには知夫によく遊びに来ていました。素潜りや魚釣りなど、自然の中でのびのびと遊んでいた記憶があります。都会とは違って、人も少ないし遊ぶ場所も少ないんですけど、だからこそ自然が好きな僕にとっては心地よかったのかもしれません。

そんな知夫村は、もう一つのふるさとのような存在だったんです。小さな島なので、よく遊びに来ていた僕のことを、知ってくれている人もいたんですよね。

島に来ようと思ったのには、どんな理由があったのでしょうか?

奥田:祖母がいたからですね。関西の方でも長らく一緒に生活していたんですけど、祖母が先に島に移住してきたんです。それで最初は少しのつもりだったんですけど、いざ来てみるとなんだか心地が良くて。結局こちらに10年以上住んでいます。笑

生まれは京都ですが、小さい頃によく遊びに来ていたため、ふるさとのような存在である知夫里島。2011年に20代で大阪から移住し、現在は「合同会社 島守(しまもり)ちぶり」で働いています。

村の人のおかげで、いろんな仕事を経験できた

島守りちぶりで働く前は、どのような仕事をしてきたのですか?

奥田:大阪などでは、建築関係の仕事が多かったんですけど、お好み焼き屋さんの店長とかもしていましたね。移住を決めた時には、役場に案内していただいた知夫村の放牧場や海岸を整備する仕事をしました。その他には地元の下廣さんに声をかけていただき、商店で6年ほど働かせてもらいました。下廣商店は個人で経営されているんですけど、日用品の販売だけでなく幅広い業務に対応していて、配達業や渡船業も行っていました。そんなふうに、知夫に来てからは本土の時とは全く別の新しい仕事になりましたね。いろいろと世話を焼いてくれて、ほんと、いい村だなっておもいました。

生まれは京都ですが、小さい頃によく遊びに来ていたため、ふるさとのような存在である知夫里島。2011年に20代で大阪から移住し、現在は「合同会社 島守(しまもり)ちぶり」で働いています。

人も海も距離が近い。

そんな島の雰囲気がとても好き

村の人はとにかく優しい、家族みたいな関係

長らく本土の都会で生活してきたとのことですが、隠岐諸島の小さな島での暮らはどう感じますか?

奥田:本土から移住した時も、村の方々はすごく優しく接してくれました。近所の人が本当によくしてくれるんです。採れたての野菜や釣った魚を分けてくれたり、おかずやすぐ食べれるものをいただいたり。島の雰囲気はすごく好きですね。

ご近所さんとの関わりもかなり濃いんですね。奥田さんにとって村の方々はどのような存在ですか?

奥田:家族みたいな感じです。日々助けられているし、見守られているという感じはあります。村の人同士の距離は近すぎると感じるくらいですね。笑 歩いてるとみんな優しくて「どうした~?」って声をかけてくれたり、車を止めて「乗ってくか?」なんて言われるんです。特にこの知夫村は、島前の三島だと一番小さくて人口600人しかいないので、知らない顔はないと思います。

 

の人同士で集まったりすることもあるんですか?

奥田:そうですね、普段は同級生や職場の仲間と遊んでいます。ただ、都会のように夜遅くまで遊べるようなカラオケや居酒屋、バーなんかは全くないので、みんなで体育館に集まってスポーツをしたりして遊んでいます。バレーやバスケット、フットサルをしていますが、少ない時は4、5 人しかいないのでバトミントンが多いです。最近は島への体験生とかも来ていて、多い時では20 人集まったりもしますよ。僕自身も楽しくて結構参加してますね。笑

 

あるはずのものがなくても、それがいい

知夫村で生活していて、一番楽しい時間はいつですか?

奥田:釣りですね。サビキ釣りや、ルアー釣り、船釣りなど、いろんな釣り方ができるのが楽しいです。僕は船の免許を持っているので、船を出して友人2、3人で海に出たりします。特にジギングしている瞬間が楽しくて、ルアーを沈めてしゃくって、エサのように見せて魚を釣るんです。アジなんかは定番で、知夫では結構簡単に釣れますよ。そんなふうに海に出て、友達と釣りをしている時間が一番好きですかね。例え全く釣れなくても海に行って、景色を眺めているだけでも全然いいんです。

釣った魚の調理や家事はされるんですか?

奥田:自炊は全くするタイプではなかったんですが、自分が食べるくらいなら問題なくできるようになりました。魚の捌き方なんかもこっちで覚えたんです。笑 最近は夜でも食事ができるところが増えてきて、僕も週に1、2回行かせてもらっていますね。本当に小さな島なんですけど、お食事処だけでなく、フレンチレストランなんかもあるんですよ。最近では島でラーメンを食べることができるようになったので、選択肢が増えて嬉しいです。家事に関しても、日用品なども必要なものは商店で購入もできますし、オンラインショップなども利用できるので、特に不便は感じていないです。

生まれは京都ですが、小さい頃によく遊びに来ていたため、ふるさとのような存在である知夫里島。2011年に20代で大阪から移住し、現在は「合同会社 島守(しまもり)ちぶり」で働いています。

村の生活を守り、困った人を支える

島守ちぶりはどのような事業をしているのでしょうか?

奥田:隠岐汽船取扱店の仕事を主にしています。知夫にある来居港は、隠岐汽船の直営ではなく、切符の販売や、フェリー離着岸の補助業務を行う、地元の取扱店です。船はライフラインなので、重要な仕事だと思っています。着かなくなると生きていけないですよね。笑 他には、クロネコヤマトや佐川急便の委託で配達だけしたりとか。あとはレンタカー業務とか、便利屋事業を行っていて村の人から依頼があったら対応したりしますね。

奥田さんはどのような業務を担当されているんですか?

奥田:僕は基本的にルーティンワークなんです。午前中は隠岐汽船の綱取りをして、終わり次第荷物の配達をします。午後は便利屋事業の対応が多いです。村のお困りごとに対応しているので、草刈りしてくださいという連絡がきたりとか、家の掃除を頼まれたりもしますね。知夫村にはお年寄りの方も多いので、一人でできないことを何でも代わりにやったりしています。対応すると、やっぱりみんなに喜んでもらえるので、そのためにやってます。喜んでもらえたら「よっしゃ、やろうかな」っていう気持ちにもなりますしね。笑

合同会社島守ちぶりの名前の由来は、やはり島を守っているからなのでしょうか?

奥田:多分由来は名前の通りで、島を守るから「島守」になったんだと思います。やっぱり前の代表の方が「みんなで守っていくぞ」って感じだったんだと。僕もそのつもりでやっています。

生まれは京都ですが、小さい頃によく遊びに来ていたため、ふるさとのような存在である知夫里島。2011年に20代で大阪から移住し、現在は「合同会社 島守(しまもり)ちぶり」で働いています。

島守ちぶりとして、村の未来を明るくしたい

若い人たちで、島全体を元気に

今後、島守ちぶりの一員としてどんなことをしていきたいですか?

奥田:特に若い人たちで村を盛り上げていって、島全体を元気にできたらいいなと思っています。まさに今若者たちで頑張って、進めている計画があるんです。まだ始められてはいないんです​けど、キャンプのレンタル事業の計画を進めています。どうしても観光スポットが赤ハゲ山や赤壁の二箇所のみになってしまうので、知夫里島は島前の中でも通過地点になってしまうんです。現に観光客の方々は、隣の海士町や西ノ島町に泊まっているので、一泊でも長く知夫に滞在してもらえるようにしたいんです。

長期滞在してもらえるような施策は何かありますか?

奥田:観光地の赤ハゲ山からは島前カルデラの美しい景色も見渡せますし、放牧場も近くて自然を求めるキャンパーも多いんです。ただ離島まで大きい荷物を持ってくるのは大変だと思うので、テントなどのレンタルをしたら、もっとみんな気軽に来てくれるんじゃないかなと考えています。皆さんには手ぶらで来てもらって、知夫で快適に過ごせるように話し合っているところです。

生まれは京都ですが、小さい頃によく遊びに来ていたため、ふるさとのような存在である知夫里島。2011年に20代で大阪から移住し、現在は「合同会社 島守(しまもり)ちぶり」で働いています。

原動力は何より村の人が喜んでくれるから

 

知夫村のライフラインを守り、なんでも屋さんとしても、村の人の生活を支えています。若者の力で大自然を生かした新事業にも取り組んでいる、島にとってなくてはならない存在「島守ちぶり」。

どんな人と一緒に働きたいですか?

奥田:これからもこの村のためになるように、いろいろな村の人からも話を聞きながら「こうしてほしい」と言われたことを実現できるように、やっていきたいなと思っています。「誰かの喜ぶ顔をみるために」働くのが好きな方は、島守ちぶりにぴったりなんじゃないかなと思います。

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